昭和3年、青厓の門弟・土屋竹雨を理事として芸文社が誕生、その漢詩文雑誌。日中両国の作品を掲載・批評するのは、これが最初である。顧問には、国分青厓ら当時の主要な漢詩人が顔を揃えるほか、桂湖村・瀧川君山・内藤湖南・長尾雨山・久保天随らの学者、及び陳宝琛(弢庵、『徳宗実録』)・王晋卿(学者)・鄭孝胥(蘇戡、満州国初代国務院総理)ら中国人も含む。名誉会員には、入江雨亭(相政の父)・落合東郭(元田永孚の外孫、第五高校で雨山・漱石と同僚)・上夢香(宮内省雅楽長)・松平天行(康国、唐宋八家文等の『国字解』)、また王揖唐(逸唐、政治家)・溥心畬(画家)・斉白石の名も見える。作品には、若槻禮次郞(首相)・松村乾堂(謙三、文部大臣)・宮澤葦城(裕、喜一の父)・阪本蘋園(永井荷風の実兄、高見順の父、名古屋市長)らの官界人、山本二峯(悌二郎、台湾製糖社長)・大倉聴松(帝国ホテル会長)・小倉簡斎(正恒、住友総理事)・川村竹治(満鉄社長)・堤米荘(康次郞、西武)・美濃部春篁(俊吉、北海道水力電気社長、達吉の兄)ら財界人、徳富蘇峰・士肥鶚軒・大島蘇谷(健一、大東文化学院総長)・鵜沢総明(明治大総長)・高橋箒庵(義雄、茶人)・鈴木豹軒(虎雄)・諸橋止軒(轍次、『大漢和辞典』)・內田泉之助・鈴木由次郎・阿藤伯海・高田韜軒(真治、東京帝大教授)・木下周南(彪、『青厓詩存』)・山田済斎(二松学舎名誉学長、『山田方谷全集』)・今関天彭(漢詩人、『宋詩選』)・安岡瓠堂(正篤、東洋思想家)・三浦英蘭(漢詩人)・川村驥山(書家)・松林桂月(篤、日本画家)・松本芳翠(書家)・太刀掛呂山(漢詩人)・井上舒菴(交通博物館長)ら学術文化人のほか、張大千の作も掲載される。第1集(昭3.8)~205集(昭33.3)を収録。
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