大正年間を代表する漢詩文の同人誌。大正天皇の即位を記念して創設された雅文会の機関誌で、大正4年の創刊。発起人には、高橋作衛(大隈内閣の法制局長官)、土肥慶蔵(鶚軒、東大医科大教授、東京大学総合図書館と国立国会図書館に鶚軒の所蔵漢籍がある)、田島錦治(京大初代経済学部長、立命館大学長)、岡田良平(京都帝大総長、文部大臣)、藤田豊八(東洋史学者)、小川平吉(鉄道大臣)らが名を連ねる。また顧問には、三島中洲(二松学舍大創立者)・井上哲次郎(哲学者)・竹添進一郎(井井、『左氏会箋』)・土屋弘(東洋大教授)らがいた。主宰者は高橋作衛から日下勺水(史料編纂掛)に変わった。本多種竹・森槐南らの没後は、国分青厓が牽引役となっていく。第1帙の創刊号には、股野藍田(帝室博物館総長)・竹添井井らが巻頭言を寄せる。冒頭の「登極文」は三島中洲。第2集以下には狩野直喜・久保天随・瀧川亀太郞・近藤杢(大東文化大教授、近藤春雄の父)・井上哲次郎・松平康国(天行、『国字解』)らのほか、尾崎行雄(議会政治の父)・金子堅太郞・松方正義らの作を収める。また鷗外の作は計24首掲載されていて、当時の誌面の状況と併せ読むと興味深い。その他、徳富蘇峰らの作もある。昭和2年2月で終刊を迎える。第1帙1集(大正4.11)~第16帙13集(昭2.2)を収録。
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